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■子育てはわが子を社会に送り出す
  • 大切なプロセスです
  • エッセイスト・ジャーナリスト 見城美枝子さん
写真:見城美枝子さん
見城美枝子
TBSアナウンサーを経て、フリーに。中教審など政府各種委員を歴任。現在、青森大学社会学部教授。
教育や環境・福祉などの問題を鋭く、優しく語りかける人柄は、世代を超えて多くの人の支持を得ている。4児の母。

――お子さんも成人され、子育ては一段落でしょうか。

 とんでもない。親というのは「生涯現役」ですよ。最近、「親離れ子離れ」、あるいは「過保護」という言葉を勘違いして、心まで離してしまっている親がいるように思います。
 同居している私の母は87歳ですが、私が出かける際には、「忘れ物は?」と聞き、私が「しまった」と言うと、「ほらぁ〜」と言って追いかけてきますよ(笑)。
 そんな私が唯一意識してきたことは「子育ては社会に送り出すプロセス」だということです。親の庇護の元で育つ子どもたちも、社会人になったら逃げも隠れもできなくなる。その時のための「肝を座らせる」。つまり、子どもが「自分で責任をとる」ということを少しずつできるようにしていくのが子育てだと思うのです。

――最近、子育ての環境も、変わっているようですが。

 子どもたちがネットの街などのバーチャルな世界にいる時間が増えていることが心配です。
 困ったことに、バーチャルな世界では生死が簡単にリセットできてしまう。自分の身分や人生もリセット可能。本来、自由を得るためには責任と義務が伴いますが、ネットの街では、責任と義務が伴わないばかりかアイデンティティーすらない。
 たとえば、実社会では、少なくとも「いじめたら、いつか、しっぺ返しがくるかもしれない」という思いがありますが、匿名性の強いネット社会では、いじめるだけいじめたら、透明人間のようにぱっと消えてしまえる。そこには、「ここに私がいます」と宣言し、「逃げも隠れもしません」という覚悟がない。
 私たちの子どもの頃は、周りの大人から「天に向かってつばを吐けば、自分に落ちてくる」と教えられ、「ああ、つばを吐くのをやめよう」と考えたものです。日常の暮らしの中から人としてやってはいけないことを学んでいきました。一方、ネットの街で義務も責任もなく自由でいられる今の子どもたちは、しだいに親のいうことも耳に入らなくなっていくようです。

――では、親はどうしたらいいのでしょうか。

 まずわが子が実社会とバーチャルな社会との両方の世界に住んでいることを認識すること。そして、子育てで悩んだら、実社会で生涯生きていくことを軸に考えることです。
 軸がないと、最終的にどこに行き着くか分からないあみだクジのようになってしまう。問題が発生して、とりあえず右を選び、新たな問題が出てきたらまた、その場でどちらかを選ぶ。もちろん私も混乱し、迷うこともありますが、そんな時は、「この子が実社会に出て、こっちを選ぶとどうなるか?」と自分に問いかけてみることにしています。
 軸といえば、「生きとし生ける者は、三大原則から逃れることはできない」という言葉があります。アメーバから人間までの共通点は「産む・食べる・死ぬ」の3点ということです。これを子育ての原点に置くといいと思います。人間、産まれる前からへその緒でつながって食べはじめ、食べられなくなったらほんとうに終りですから。
 子どもたちを見ていても、家庭での食事の時間を通して、基本的な礼儀を身に付け、命の大切さや周りへの感謝の気持ちなどを育んできたように思います。
 わが家では、常時、ごはんが炊いてある状態にしています。そうすると、子どもは安心するわけです。学校から帰ってくると、炊飯器をぱっと開けて、「ほぁ〜、いい匂い」って。

――お忙しい中、ボランティアで区立小学校の評議委員もされています。

 みなさんにも、「近所の大人として学校のサポーターになりましょう」と呼びかけています。私も、先生方の力になりたいのはもちろんですが、何よりも子どもたちの「チアガール」でありたいのです(笑)。

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